2011/05/21
2011/03/20
チョイオイな1週間@ベトナム
シンチャオ!
1年ぶりの海外。
あっという間だったベトナム。
バイトに就活と、早くもすっかり日本の生活にもどってしまった。
チェンジメーカー留学inベトナム。(未来創造ツアーだったことは秘密)
【企画目的】 海外(アジア)で濃密な1週間を過ごすことにより 自分と社会の可能性とチャンスに気づき、未来に「チェンジ」を巻き起こす人材を育てること
本当に濃厚すぎたこの1週間。
みんなの声が鮮明に思い出せます。
最初ベトナムと聞いて何をイメージしていただろう…
ベトナム戦争。バイクが多くて町を歩くにはマスクが必要。日本の原発が建つ。料理がおいしい。12月にベトナムへ行った友人はとてもさむかったと言っていた。2月に行った友人はカンボジアの人の方が温かかったと言っていた。通貨は何だ?英語が通じない。サッカーが人気だった気がする。やっぱりフォーでしょ!
…そんないろんなイメージや偏見を胸に日本を飛び立った。
参加するにあたって自分の中で目的として持っていたもの。
・ いろんな生き方を知りたい。
海外で、広い世界の中でベトナムという国で人生を過ごそうと考える人の価値観を吸収したい。
・ ベトナムは行った事がなかったから、純粋に自分の知らない世界を見たい。
・ 日本を外から見る事で物事を広く捉えられるように、柔軟な視野に立ちたい。
・全く違う環境に身を置いてこそ感じられる日本人としての可能性を肌で感じたい。
そんな想い・期待を持ってベトナム(ダナン、ホイアン、フエ)でたくさんの人たちと出会った。
・自分の意地のため。
・生きて行くため。日本にものづくりはなくなっている。
・急激な発展・成長で生じる歪みをなんとかしたい。日本とベトナムのよさをお互いに学べる場を作りたかった。自分一人で何か出来ないかを考えたらカフェだった。
・企業の生き残りのための海外進出現地社長
・日本語を学ぶ日本を愛する人たち。
・ホイアンをテレビで見て一度行きたくなった。そして実際に行くと想像以上だった。
ホイアンで5年10年以上住むために必要なのは、何かを考えると、日本食料理屋だった。
・日本の経理業務をほぼ完璧にこなすベトナムの人たち。
・ 日系企業で働く。
・2010年5月にベトナムのホイアンに惚れ、働こうと決意。秋葉原のメイド喫茶での修行を経て、現在に至る。
・ 日本で保育を学び、日本式保育をベトナムへ。
・ 伝えたいことは日本の文化の一つ。ホスピタリティ。
・ 子供に手がかからなくなったとき、もう一度チャレンジしようと思ったら海外に来ていた。家族には事後報告だった。
・ボランティアをやろうと思った@フエ。そこで、主人と知り合ったので、結婚。そこで住むことになった。そしてホテル経営へ。
・日本だけの国で何かやるのは限界がくると思った。将来性が見えない。
・ ベトナムで初めてストリートチルドレンと出合い、孤児院支援を始めた。
本当に一週間でいろんな価値観や生き方と出会った。
ここには書ききれないくらいで、書き出してる今もなかなか整理できない。
けど、きっと出会った人たちすべてが財産になったんだと思う今の自分にとって。
日本人であるだけでブランドであることを知った。
そこにけっこう共通していたのは、「日本の高い技術×日本人の心・ホスピタリティ」だった気がする。
「ベトナムでも日本と同じものは造れる。でも日本のモノはかゆい所まで手が届く。」
「日本の教育は世界の信用につながる。日本は世界のリーダーシップを持っている国だと思われている。」
ベトナムで聞いたそんな言葉が頭をよぎる。
日本人が受けているサービスは過剰過ぎるとよく聞く。ただ、そんなことも日本にいるだけではそれが分からない。むしろそれが当たり前。でも海外に出てみると日本の当たり前が仕事として成り立つ。
教育も同じ。日本では学力低下、ゆとりの見直しっていろいろ教育の質が問われている。
でも外から見たとき日本の教育の質の高さが伺える。日本人の教育は信用を得るための教育。時間を守る、約束を守る、一度背負ったものは最後まで責任を持つ。
同じ土俵にいると感じられないし、武器になることにも気付かないことが多い。
日本から出て分かったこと。
それまでの自分は物事を見つめるベクトルが自分からいくつかの方向にしか出ていなかったのかなって。
でも今の自分の腕にはMade in Japanとしっかり書いてあるよ。
三重県/兵庫県人である自分。関西人である自分から、日本人である自分へと視点をシフトできた。
日本語、日本人、日本の常識を知っているだけで、日本人だからこそやること、やらなければならないことがたくさんあるんだ。
そして海外で働くということに可能性を強く感じた1週間だった。
気持ちに従って、とにかくやってみよう!という考え方に直に多く出会った事は、自分にとっての海外で働く事の敷居をさげてくれたと思う。
でも、まだ今は日本人として一人前になれていない自分にも気付いた。
今回、出会った人たちは多かれ少なかれ日本で社会というものを経験していた。
「1つのものに3年以上経験を持ってから来て欲しい。1年2年やっても、いろんなものが身に付かない。もっと日本人としてのプロフェッショナルな仕事を身に着けて欲しい。ちゃんとしたインテリジェンスなものを持っていないと活かせない。3年以上やってみると、考え方がどんどん見方も変わってくる。」(EENAホテルにて)
就活が上手く行かなかったらGap Yearを使って旅に出る、NGOで働いてみるのもありだなって思っていたけど、
日本人としての幅を広げるために一度社会へ出る必要性を強く感じた。
海外にでるのはその後でも遅くないやって。
焦らず、人生を長く見て、自分をゆっくり見据えて行こう。
「先が見えない日本、先の見えるベトナム。海外から日本をみていて、とても心配になっている。日本の先が読めない。夢が作れる国ではない、邪魔する国。伸び伸びしようとすると、釘を打たれる。」
そんな日本がどんな国なのかと考えた時、
まだ単純な主観でしか考えられない自分がいる。
もっと日本という国を感じよう。感じたい。
外から見る日本は素敵だった。
内から考える日本は荒(すさ)んでいるかもしれないけど、それは「日本」という国が日本だけで完結しているからなのか。
世界は知らないうちにフラットになりつつある。
もっとちゃんと世界を感じることができれば、日本人はもっと幸せになれるのかなって思えた。
日本・日本人は守られていると言われてよく考えるようになった。
サラリーマンという肩書き、年金、日本の品質、高度成長期の功績、学校…ホントいろんなものに守られているんだなー。
人は一般的な幸せを求めると安定思考に入る。
安らぎは人の思考を止め始める。
ホリエモンはそれをオヤジ化と言ってたな(笑)
でも、また一歩踏み出せば、自分の知らない幸せに気付けるんだ。
守られることに慣れると、みんなはこれからの時代は本当に生きて行けるのかなって不安になる。
それこそ日本の将来が見えないっていう点で。
このベトナムで過ごした日々が自分にとってどんな要素を与えてくれたのかは、まだあまり実感できていないけれど。
就職活動最前線の大学3年生。
行く事に迷いはなかったし、実際行ったことのほうが就活にプラスになっているって昨日の面接でも感じた。
将来を考えて行く上で、自分はどんな風に人間の幅を広げて行くか。
結局、就活も面接までにどれくらい自分の価値観を育んできたか、なんじゃないのかな。
人としての器を広くすることに日々を費やして、精一杯毎日を生きていきたい。
他にも感じたことはまだまだたくさんある。
ベトナムのこと、ベトナム人、日本語(言葉)、料理、開発、観光、家族、価値観の違い…
ただまだ整理できていないこと、ここでは伝えきれないことが多い
それはまた伝える機会があればになるかな。
最後に石渡さん、唐津さん、川村さん、イェンさん、フエちゃんたちフエ外大の学生、おやじ、このベトナムで出会ったたくさんの人たちに本当に感謝。みなさんがいなかったらベトナムでこんなに濃い時間を過ごすことが出来なかった。
そして最高の仲間と出会えた。
しゅうへい、ひろみ、こうへい、たけぞう、ひろ。
チェンジメーカー留学inベトナム 1期生は最高だ♪
ベトナムでみんなで笑い、考え、泣いた日々を忘れない。
本当にありがとう。チョイオーイ!
写真はfacebookに昨日400枚近くアップしたので、良かったら見てください。
2011/03/14
チェンジメーカー留学inベトナム 2日目
3月12日(土曜日)
ベトナム滞在2日目。
昨日がメッチャ濃い1日やってまだ2日目かっていう想いともう2日目かーっていう想いの交錯。
本日は
まず朝5時に起きられた人だけでダナンの海へ散歩♪
そして朝食後はベトナムの日系企業2社訪問、
昼から日本で学んだ日本式保育を採用する保育園訪問、
ダナンからホイアンへ移動
ホイアンの町を1時間弱ほど自由時間に散策して
現地で日本語教師生活を初めて1ヶ月の方が飛び入り参加した毎度おいしい夜ご飯
通行料金を取ろうとした無線おっちゃんとのいざこざを経て
日本食屋侍食堂の運営をする宮川玄太さん、U-CAFÉをこれから開く臼田玲子さんのお話を聞く。
そんな今日も濃かったなーホント。
この2日間だけで、ホントたくさんの価値観と生き方に触れて、
正直しんどくて、眠かったりもするけどホント充実してると思う。
手帳への書き込み量が普段イベント行ったり、人の話しを聞くときの比じゃないや♪
今日一番心に残ったのは日経企業で社長さんから行って頂いたこと
「自分の求めたことに対して、応えて行く責任」について。
今、主に就活で行きたい企業に自分の考えるライフワークを求めているけど、大事なのはそれにどうやって応えて行くか。
企業に伝えるのはそこが重要なのかなって。
自分の企業に対する考え方を少し良い方向へ修正するきっかけになるとイィな。
・ベトナム滞在者は関西人の方が多い?
・日本の加工産業のレベルは日本人が想像してる以上に世界的に認められてる
・日本人は守られている、日本にいる事自体が甘え ex)サラリーマン、年金
・日本が世界を相手にする際の意識面での問題
・日本の高い食育レベル
・日本で学ぶことは信頼に繋がる
・自分の身体にはメイド イン ジャパンと書いてある
・日本語、日本の味、ホスピタリティ
・1km先が見えなくても、500m先が見えたら走ってもイィよね
・PCを閉じよう。あそこには成功例とおもしろ話しか載っていない
・急激な発展は精神的な歪みを生む。開発途上国ではいろんなステップを飛ばし過ぎて特に顕著。
・周りを見ながら自分の行動を決めるのが日本人→高いホスピタリティ
・日本人は日本が自分たちだけで生きている感覚
・日本=社会問題大国→社会問題の解決窓口になれる
自分を客観的に日本人として見る事ができるようになってきて、
思考が少し変わってきたのが実感できているすごく。
今まで自分には何ができるんやろって考えてきたけど、何か答えは簡単やったのかもって気付けてきた。
何か上手く言い表せられないけど、今の感覚を大事にしたい。
明日は6時に起きて、チャリンコレンタルしてホイアンの海へ行くんだ♪
そして昼からはホイアンからフエへ移動。
明日もたくさん自分の価値観を学ぼう♪
精一杯生きてきます。
2011/03/12
チェンジメーカー留学inベトナム 出発〜1日目
3月10〜11日。
ベトナム・ダナンなうです。
ついに始まりました人生3度目の海外経験はベトナムです♪
次の海外は絶対に中東って決めてたけど、少しご縁がありましてベトナムにいます♪
予想通りのバイク社会
予想以上の人の温かさ
予想通りのおいしい食文化
予想外に涼しい気候
このベトナムで過ごす1週間は現地で働く日本人や日本語学習者とたくさん関われる内容になっていて、日本人の可能性や全く違う環境に来てこそ分かるものに触れることを目的としている。
人の生き方にヒントはあるけど、ルールはない!
就活があるからこそ燃えていますw
自分の知らない生き方や価値観を精一杯学んで行こう。
もっと価値観を磨きたい。
その先にまた向上した人間力があるとイィよね♪
新しい仲間とも出合った。
関東から関西まで。
この6人はきっと生涯で掛け替えのない繋がりになるんやろなって思いたい。
まだ始まって1日しか立ってないけどメッチャ充実してる。
手帳にいろいろメモし過ぎて、頭の中の整理が追いつかないや(笑)
今日行ったのは日本企業の経理を委託する超ベンチャーのVBPO。
ベトナムで孤児院を支援する女性が共同運営する、さくらフレンズカフェ。
日本へ留学した男性が校長を勤める、ドンズー日本語学校。
今日、印象に残った事は…
・営業という概念が日本特有である。
・人材教育は日本が先進国として出来る一つの特性。
・アジアで英語を育てて勝負するにはシンガポールやインドとの競争力が高すぎる。
・今いるダナンがベトナム戦争の最前線だった。
・ベトナム人の幸せは家族が1番で生活を大切にする。
・日本の情報は海外に出て行かない。出て行くのはマンガや文化だけ…
・留学生が日本の大学を選ぶに際して日本の学部はネーミングが複雑。もっと詳細が必要。
・日本と同じものはベトナムでも造れる、けど日本商品の違いは「痒いところに手が届く」こと。
・ベトナムの路地裏には30年前の古き良き時代の日本がある。
・途上国の犯罪には理由があって、今の日本にはそれがあるのか。
・日本語を勉強するコツってなんだろ?
・日本のマンガが海外の子どもたちのアイデンティティに与える影響。
・中小企業と東南アジアの架け橋に需要あり。
明日はホイアンへ移動して日系企業や幼稚園の訪問とまたハードで濃い1日になりそう。
ブログ書いてたら今日の内容が整理できるかなって思ったけど、そんな事もなかったかなw
またゆっくり整理して行こう。
日本がかつてない地震に見舞われて不安で仕方ない。
ベトナムのニュースも日本の報道で付きっきり。
でも、自分に今出来ることは、今を一所懸命精一杯生きること。
昨日出国した成田空港は現在封鎖されてるらしい。
このタイミングって何なんやろ。
このチャレンジできるチャンスに感謝して
とにかく今は目の前のことに全力で向かっていくだけ。
2011/03/01
運命に「イエス」という生き方を。
2月28日。
関学就活生に溢れ返ってる梅田キャンパス14階、
同じフロアの反対側ではたくさんの人たちの想いが生まれた。
カンボジアエイズドキュメンタリー
『それでも運命にイエスと言う。』
HIV/エイズ、死、差別、運命、国際協力、自分の可能性
いろんな考えるテーマがこの数時間にはあった。
東京医科大学6年の葉田甲太さん@KotaHada
昨年大学を卒業し、今年起業予定の小川光一さん@koichi_luz
HIV/エイズが問題なのは知っている。
でもなんだろな。
ずっと自分からはずっと遠い存在な気がして。
あまり関心が持てる問題じゃなかった。
「国際協力」って何?
会場から監督のお二人に質問があった。
小川さん
「国際協力ってコトバがそもそも好きじゃない
だって”国際”って言ってる時点で国を隔ててるんでしょ。
国内も国外も同じ。
ゴミを拾うのも
お年寄りの方に席を譲るもの
ウガンダやスーダンに行くもの
根本的には同じ。
行き着く先は人のため。」
自分が活動してきたエコハビでも同じようなことをよく話す。
何で海外を支援するの?
何か答えは簡単だったのかも。
小川さんの言う「心のフォルダ」
日本人の多くには国内/海外のフォルダが出来てる。
それをもっと上に上げて行く必要性。
アジアに、地球に。
葉田さん
「差別が起きるのは自分の知り合いがいるかいないか
創造性の欠如の問題。」
今の日本のメディアはここでいう知り合いしか報道していないのかなって感じた。
大事なのは「知ること」と、その「きっかけ」。
最後にみんなで考えた自分の可能性。
俺はこの1年「伝える」ことをずっと考えてきた。
昨日のブログにも書いた夢。
いろんな生き方、世界を伝えられる社会の先生になる。
その伝えることの一つに今日の事こともあっていたいなって。
エイズと共に生きてるお母さんが半年ぶりに我が子を抱きしめたときの表情が頭から離れない。
車からおりて
すぐそこにいる娘に向かって走るんだけど
娘の前で転んじゃって…
でもすぐに立ち上がって娘を力強く抱きしめたんだ。
あの光景が忘れられない。
親子で手をつないで歩いてるあの幸せそうなお母さん。
今はもう彼女はいないんだって。
25歳。
葉田さんは同じ歳になって、俺ももうほんと目の前だ。
2月は本当に生きることと、死について深く考えた1ヶ月だったなってふと。
そこにはたくさんの出会いがあって、それぞれの生き方が自分の糧になる。
ホント感謝だ。
イベントを主催してくださった国際協力団体Girasolの皆さんにも感謝。
「人生にはいろんな日があって、
悲しい日、辛い日、楽しい日
たとえどんなことがあっても、
今この瞬間は楽しく生きていけるはず。」
運命を受け入れよう。
人のせいにせず、自分の人生に責任を持って。
運命に「イエス」という生き方を。
カンボジアエイズドキュメンタリー
それでも運命にイエスという。
2011/02/28
旅カフェで感じた夢
2月26日(土)
JAEの旅カフェ。
JAEってインターンシップを紹介してくれるNPOやのに、JAEカフェしか行ってないや♪
帰り際にタケトさんに言われたけど、ホント良く会うw
前回は自己分析で、今回は旅のカフェ。
世界一周経験者2人と旅に興味のある人たちと過ごす時間。
どのようなきっかけで、
どのような旅をして、
どのようなことを感じて今があるのか。
朝日No.1、夕日No.1、夜空No.1とか
旅のノウハウ
いろんな地域のあるある
宗教
死
日本との違い
イースター島のロマン
聞いててとてもワクワクした。
気になることもいろいろ聞いた。
近い将来自分が行く旅のために。
外に出てみると、世界一周の旅をやってる日本人なんてざらなんだって。
今度は自分の目で見たい。
このカメラで伝えたい。
旅に出る決意がだいぶ固まった。
今じゃないけど。
教師になりたい。
そんな夢がある。
肌で感じた日本の社会を、自分の目で見た世界を伝えられる社会の先生に。
そのために今は就職する。
そして30歳を目前に世界を旅したい。
そして帰ってきたら先生になるんだ。
そんな夢を抱いてる今日この頃。
いろんな生き方、世界を伝えられる社会の先生になりたい。
そのために20代は好きに生きるんだ。
30代からも好きな事して生きるために。
最近、たくさんの人と出会って、その度に自分の意志が定まってきてる気がする♪
この日もたくさんの良い出会いがあった。
本当に日々の出会いに感謝。
加藤大輔さん
教師5年、
そして世界一周、
現在はJAE勤務。
教育と旅、きっかけは高橋歩さんといろいろ共通点がある方♪
俺も彼のように夢に向かって生きて行きたい。
ブログ「rainbow-earth」
http://birdai.blog56.fc2.com/blog-date-201003.html
岸本徹さん
ボリビアンパーマ
立命館4回生、就職と卒業単位をクリアしていたことから休学もせず、
5ヶ月で世界を一周した弾丸大学学生。
テーマは世界で働く日本人に突撃インタビュー!
ブログ「チャラ男が突撃!世界一周!!世界で働くJAPANESE。」
http://ameblo.jp/sekai01syu/
2011/02/22
フォトジャーナリスト安田菜津紀×渋谷敦志との出会い
2月19日。
憧れの写真家に会ってきた。
フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん。7月に京都で行われてた彼女の写真展…
次の日がテストやって諦めてから早7ヶ月。。
やっと会えた。
前の日はすごくワクワクしてて、実は初めて見たときは緊張しすぎて実際に話すまでかなり時間がかかった笑
俺もけっこうかわいいやつだよw
今回の写真展は「国境なき子どもたち」主催。
渋谷篤志さんのバングラデシュ、菜津紀さんのフィリピンの写真。
そしてトークイベント。
夜は場所を変えてナイトカフェ。
写真の可能性を改めて実感した1日だったなー。
菜津紀さんは少し歳上やけど自分とあまり歳が変わらない人なのに、すごく背負ってるもののようなものを感じた。
そして自分にできることを精一杯やってるんだなって。
でも普段はおもしろい(変な?)お姉さんでした笑
渋谷さんは実はTwitterで相互フォローになってたけど、この日初めてお会いしてちゃんと知った。
ジャーナリストとして写真にかける情熱がホントすごいんだ。
今回は菜津紀さんを目当てに来たけど、渋谷さんと話せたことのインパクトは衝撃だった。
尊敬するフォトジャーナリストがまた一人増えた日でした♪
今回は菜津紀さんを目当てに来たけど、渋谷さんと話せたことのインパクトは衝撃だった。
尊敬するフォトジャーナリストがまた一人増えた日でした♪
ナイトカフェで「撮れない瞬間。」についての話しになったんだ。
菜津紀さんは「撮らなかった、撮れなかったことの後悔より、その瞬間何も出来なかった自分に後悔する。」
昼間にお話した時「撮らない選択肢を大切にしたい」とおっしゃってたあの瞬間を思い出した。
写真を「撮る」って何なんだろね。
最近はもう写真を撮りまくってる自分にはない概念との出会いだった。
もっと「撮る」ことについてちゃんと向き合いたい。
もっと自分のカメラ観を深くしていこう。
もうすぐ行くベトナムは何かきっかけになるかな。。
渋谷さんも葛藤を語ってくれた。
「対等であるはずの命になぜここまで格差があるのだろう。
何の資格があってここへ足を踏み入れさせてもたえるのか…
その写真を使って本当は何がしたいんだろう自分は…」
それでも渋谷さんは「人と自分と向き合うため」に写真を撮るという。
インドのストリートでいろんな人たち・子どもたちと出会ったとき、
日本に帰ってから伝えるんだここで、自分の目で見た事を!って思った。
カメラも路上で暮らしてる人や子どもたちに向けたんだ。
でもね、なかなか無理だった。こわかったのかな。
撮った写真も堂々とカメラを正面から構えて撮ったわけじゃなくて、遠くからズームしてとかやしね。
それと申し訳なさ。
俺は勝手に写真を撮るだけで、何かしてあげられるわけじゃない。
それって撮られる側に失礼じゃないのかって。
気軽に写真に写す権利は俺にあるのかって。
被写体になる彼らとその瞬間を生きる度合いの違いのような感覚を感じた。
今思うとやっぱり覚悟がなかったんかな彼らと、そして自分と正面から向き合う。
あのときの感覚を渋谷さんに話したら、言ってくれた。
それでイィと。
その時の気持ちを忘れずに、大切にしてたらイィんだよって。
俺もそうだからって。
その気持ちと向き合うことが大切なんだって気付かせてくれた。
菜津紀さんは「撮らなかった、撮れなかったことの後悔より、その瞬間何も出来なかった自分に後悔する。」
昼間にお話した時「撮らない選択肢を大切にしたい」とおっしゃってたあの瞬間を思い出した。
写真を「撮る」って何なんだろね。
最近はもう写真を撮りまくってる自分にはない概念との出会いだった。
もっと「撮る」ことについてちゃんと向き合いたい。
もっと自分のカメラ観を深くしていこう。
もうすぐ行くベトナムは何かきっかけになるかな。。
渋谷さんも葛藤を語ってくれた。
「対等であるはずの命になぜここまで格差があるのだろう。
何の資格があってここへ足を踏み入れさせてもたえるのか…
その写真を使って本当は何がしたいんだろう自分は…」
それでも渋谷さんは「人と自分と向き合うため」に写真を撮るという。
インドのストリートでいろんな人たち・子どもたちと出会ったとき、
日本に帰ってから伝えるんだここで、自分の目で見た事を!って思った。
カメラも路上で暮らしてる人や子どもたちに向けたんだ。
でもね、なかなか無理だった。こわかったのかな。
撮った写真も堂々とカメラを正面から構えて撮ったわけじゃなくて、遠くからズームしてとかやしね。
それと申し訳なさ。
俺は勝手に写真を撮るだけで、何かしてあげられるわけじゃない。
それって撮られる側に失礼じゃないのかって。
気軽に写真に写す権利は俺にあるのかって。
被写体になる彼らとその瞬間を生きる度合いの違いのような感覚を感じた。
今思うとやっぱり覚悟がなかったんかな彼らと、そして自分と正面から向き合う。
あのときの感覚を渋谷さんに話したら、言ってくれた。
それでイィと。
その時の気持ちを忘れずに、大切にしてたらイィんだよって。
俺もそうだからって。
その気持ちと向き合うことが大切なんだって気付かせてくれた。
慣れたらだめなんだホント。
あのとき自分がなぜそう感じたのか。
もう1年前のことで忘れかけてたけど、思い出せてよかったこの機会に。
また早くインド帰りたいなーw
写真撮るだけでも深いよカメラってホント。
俺はまだ写真家であってフォトジャーナリストではないんだなって感じた1日。
でもいつか写真で伝えられる存在になりたい。
それでお金を稼ごうとは思わないけど、伝えられる人間に。
菜津紀さんはカメラを始めるきっかけに渋谷さんの写真があって
俺はちょうど今のカメラを買ったころのタイミングで菜津紀さんの写真を知り、影響を受けた。
俺も写真で誰かに影響を与えられるようになりたいよね笑
あのとき自分がなぜそう感じたのか。
もう1年前のことで忘れかけてたけど、思い出せてよかったこの機会に。
また早くインド帰りたいなーw
写真撮るだけでも深いよカメラってホント。
俺はまだ写真家であってフォトジャーナリストではないんだなって感じた1日。
でもいつか写真で伝えられる存在になりたい。
それでお金を稼ごうとは思わないけど、伝えられる人間に。
菜津紀さんはカメラを始めるきっかけに渋谷さんの写真があって
俺はちょうど今のカメラを買ったころのタイミングで菜津紀さんの写真を知り、影響を受けた。
俺も写真で誰かに影響を与えられるようになりたいよね笑
==ホームページよりプロフィール引用==
安田菜津紀
studio AFTERMODE 所属フォトグラファー/ジャーナリスト
2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。守るものがあることの強さを知り、彼らの姿を伝えようと決意。2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中心に各地の取材を始める。現在、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題などを中心に取材を進める。 2008年7月、活動が日本青年会議所主催、青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞。上智大学卒。
渋谷敦志
1975年大阪府生まれ。高校生のときベトナム戦争の写真を見てフォトジャーナリストを志す。大学在学中に一年間ブラジル・サンパウロの法律事務所に勤務しながら写真を本格的に撮り始める。2002年London College of Printing(現ロンドン芸術大学)卒業。現在は東京を拠点に、紛争や貧困の地で生きる人々の姿を写真と言葉で伝えている。アジアプレス所属。99年MSFフォトジャーナリスト賞、00年日本写真家協会展金賞、05年視点賞・視点展30回記念特別賞など受賞。
2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。守るものがあることの強さを知り、彼らの姿を伝えようと決意。2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中心に各地の取材を始める。現在、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題などを中心に取材を進める。 2008年7月、活動が日本青年会議所主催、青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞。上智大学卒。
渋谷敦志
1975年大阪府生まれ。高校生のときベトナム戦争の写真を見てフォトジャーナリストを志す。大学在学中に一年間ブラジル・サンパウロの法律事務所に勤務しながら写真を本格的に撮り始める。2002年London College of Printing(現ロンドン芸術大学)卒業。現在は東京を拠点に、紛争や貧困の地で生きる人々の姿を写真と言葉で伝えている。アジアプレス所属。99年MSFフォトジャーナリスト賞、00年日本写真家協会展金賞、05年視点賞・視点展30回記念特別賞など受賞。
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