2011/03/20

チョイオイな1週間@ベトナム


シンチャオ!
1年ぶりの海外。
あっという間だったベトナム。
バイトに就活と、早くもすっかり日本の生活にもどってしまった。

チェンジメーカー留学inベトナム。(未来創造ツアーだったことは秘密)

【企画目的】 海外(アジア)で濃密な1週間を過ごすことにより 自分と社会の可能性とチャンスに気づき、未来に「チェンジ」を巻き起こす人材を育てること

本当に濃厚すぎたこの1週間。
みんなの声が鮮明に思い出せます。

最初ベトナムと聞いて何をイメージしていただろう…

ベトナム戦争。バイクが多くて町を歩くにはマスクが必要。日本の原発が建つ。料理がおいしい。12月にベトナムへ行った友人はとてもさむかったと言っていた。2月に行った友人はカンボジアの人の方が温かかったと言っていた。通貨は何だ?英語が通じない。サッカーが人気だった気がする。やっぱりフォーでしょ!

…そんないろんなイメージや偏見を胸に日本を飛び立った。

参加するにあたって自分の中で目的として持っていたもの。
いろんな生き方を知りたい。
 海外で、広い世界の中でベトナムという国で人生を過ごそうと考える人の価値観を吸収したい。
ベトナムは行った事がなかったから、純粋に自分の知らない世界を見たい。
日本を外から見る事で物事を広く捉えられるように、柔軟な視野に立ちたい。
・全く違う環境に身を置いてこそ感じられる日本人としての可能性を肌で感じたい。

そんな想い・期待を持ってベトナム(ダナン、ホイアン、フエ)でたくさんの人たちと出会った。
・自分の意地のため。
・生きて行くため。日本にものづくりはなくなっている。
・急激な発展・成長で生じる歪みをなんとかしたい。日本とベトナムのよさをお互いに学べる場を作りたかった。自分一人で何か出来ないかを考えたらカフェだった。
・企業の生き残りのための海外進出現地社長
・日本語を学ぶ日本を愛する人たち。
・ホイアンをテレビで見て一度行きたくなった。そして実際に行くと想像以上だった。
ホイアンで510年以上住むために必要なのは、何かを考えると、日本食料理屋だった。
・日本の経理業務をほぼ完璧にこなすベトナムの人たち。
日系企業で働く。
20105月にベトナムのホイアンに惚れ、働こうと決意。秋葉原のメイド喫茶での修行を経て、現在に至る。
日本で保育を学び、日本式保育をベトナムへ。
伝えたいことは日本の文化の一つ。ホスピタリティ。
子供に手がかからなくなったとき、もう一度チャレンジしようと思ったら海外に来ていた。家族には事後報告だった。
・ボランティアをやろうと思った@フエ。そこで、主人と知り合ったので、結婚。そこで住むことになった。そしてホテル経営へ。
・日本だけの国で何かやるのは限界がくると思った。将来性が見えない。
ベトナムで初めてストリートチルドレンと出合い、孤児院支援を始めた。

本当に一週間でいろんな価値観や生き方と出会った。
ここには書ききれないくらいで、書き出してる今もなかなか整理できない。
けど、きっと出会った人たちすべてが財産になったんだと思う今の自分にとって。


日本人であるだけでブランドであることを知った。
そこにけっこう共通していたのは、「日本の高い技術×日本人の心・ホスピタリティ」だった気がする。
ベトナムでも日本と同じものは造れる。でも日本のモノはかゆい所まで手が届く。」
「日本の教育は世界の信用につながる。日本は世界のリーダーシップを持っている国だと思われている。
ベトナムで聞いたそんな言葉が頭をよぎる。

日本人が受けているサービスは過剰過ぎるとよく聞く。ただ、そんなことも日本にいるだけではそれが分からない。むしろそれが当たり前。でも海外に出てみると日本の当たり前が仕事として成り立つ。
教育も同じ。日本では学力低下、ゆとりの見直しっていろいろ教育の質が問われている。
でも外から見たとき日本の教育の質の高さが伺える。日本人の教育は信用を得るための教育。時間を守る、約束を守る、一度背負ったものは最後まで責任を持つ。
同じ土俵にいると感じられないし、武器になることにも気付かないことが多い。


日本から出て分かったこと。
それまでの自分は物事を見つめるベクトルが自分からいくつかの方向にしか出ていなかったのかなって。
でも今の自分の腕にはMade in Japanとしっかり書いてあるよ。
三重県/兵庫県人である自分。関西人である自分から、日本人である自分へと視点をシフトできた。
日本語、日本人、日本の常識を知っているだけで、日本人だからこそやること、やらなければならないことがたくさんあるんだ。

そして海外で働くということに可能性を強く感じた1週間だった。
気持ちに従って、とにかくやってみよう!という考え方に直に多く出会った事は、自分にとっての海外で働く事の敷居をさげてくれたと思う。
でも、まだ今は日本人として一人前になれていない自分にも気付いた。
今回、出会った人たちは多かれ少なかれ日本で社会というものを経験していた。

1つのものに3年以上経験を持ってから来て欲しい。12年やっても、いろんなものが身に付かない。もっと日本人としてのプロフェッショナルな仕事を身に着けて欲しい。ちゃんとしたインテリジェンスなものを持っていないと活かせない。3年以上やってみると、考え方がどんどん見方も変わってくる。」(EENAホテルにて)

就活が上手く行かなかったらGap Yearを使って旅に出る、NGOで働いてみるのもありだなって思っていたけど、
日本人としての幅を広げるために一度社会へ出る必要性を強く感じた。
海外にでるのはその後でも遅くないやって。
焦らず、人生を長く見て、自分をゆっくり見据えて行こう。

「先が見えない日本、先の見えるベトナム。海外から日本をみていて、とても心配になっている。日本の先が読めない。夢が作れる国ではない、邪魔する国。伸び伸びしようとすると、釘を打たれる。」

そんな日本がどんな国なのかと考えた時、
まだ単純な主観でしか考えられない自分がいる。
もっと日本という国を感じよう。感じたい。
外から見る日本は素敵だった。
内から考える日本は荒(すさ)んでいるかもしれないけど、それは「日本」という国が日本だけで完結しているからなのか。
世界は知らないうちにフラットになりつつある。
もっとちゃんと世界を感じることができれば、日本人はもっと幸せになれるのかなって思えた。

日本・日本人は守られていると言われてよく考えるようになった。
サラリーマンという肩書き、年金、日本の品質、高度成長期の功績、学校…ホントいろんなものに守られているんだなー。
人は一般的な幸せを求めると安定思考に入る。
安らぎは人の思考を止め始める。
ホリエモンはそれをオヤジ化と言ってたな()
でも、また一歩踏み出せば、自分の知らない幸せに気付けるんだ。
守られることに慣れると、みんなはこれからの時代は本当に生きて行けるのかなって不安になる。
それこそ日本の将来が見えないっていう点で。

このベトナムで過ごした日々が自分にとってどんな要素を与えてくれたのかは、まだあまり実感できていないけれど。
就職活動最前線の大学3年生。
行く事に迷いはなかったし、実際行ったことのほうが就活にプラスになっているって昨日の面接でも感じた。
将来を考えて行く上で、自分はどんな風に人間の幅を広げて行くか。
結局、就活も面接までにどれくらい自分の価値観を育んできたか、なんじゃないのかな。
人としての器を広くすることに日々を費やして、精一杯毎日を生きていきたい。

他にも感じたことはまだまだたくさんある。
ベトナムのこと、ベトナム人、日本語(言葉)、料理、開発、観光、家族、価値観の違い…
ただまだ整理できていないこと、ここでは伝えきれないことが多い
それはまた伝える機会があればになるかな。


最後に石渡さん、唐津さん、川村さん、イェンさん、フエちゃんたちフエ外大の学生、おやじ、このベトナムで出会ったたくさんの人たちに本当に感謝。みなさんがいなかったらベトナムでこんなに濃い時間を過ごすことが出来なかった。
そして最高の仲間と出会えた。
しゅうへい、ひろみ、こうへい、たけぞう、ひろ。
チェンジメーカー留学inベトナム 1期生は最高だ♪
ベトナムでみんなで笑い、考え、泣いた日々を忘れない。
本当にありがとう。チョイオーイ!

写真はfacebookに昨日400枚近くアップしたので、良かったら見てください。


1 件のコメント:

  1. ぐんちゃん2011年4月2日 22:58

    てっちゃん、報告が遅くなったけど、私もシアトルから帰ってきたよ:)
    なんかブログちゃんと読んだの実は初めてなのだった 笑。書けないから話そう!
    その前に、シアトル勧めてくれて本当にありがとう。
    てっちゃんのおかげっす。

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